厚生労働大臣・柳沢の発言(東京新聞より)

 柳沢伯夫厚生労働相は二十七日、松江市で開かれた自民県議の決起集会で、「産む機械、装置の数は決まっているから、あとは一人頭で頑張ってもらうしかない」と女性を機械に例えて少子化問題を解説した。

 柳沢厚労相は「これからの年金・福祉・医療の展望について」と題し約三十分間講演。出生率の低下に言及し「機械って言っちゃ申し訳ないけど」「機械って言ってごめんなさいね」との言葉を挟みながら、「十五−五十歳の女性の数は決まっている。産む機械、装置の数は決まっているから、あとは一人頭で頑張ってもらうしかない」と述べた。
http://www.tokyo-np.co.jp/00/sya/20070128/mng_____sya_____016.shtml

言うまでもないことだが、女は出生率の低下を防ぐために子を産むのではない。その生の軌跡において産んだり産まなかったりするのである。人は自らの生を目的的に生きるのであってそれ以外ではない。政府がその存在を許される条件は、人の目的的な生の追求を阻害しかねないさまざまな環境要因の除去への期待があるからであって、それ以上ではない。安倍政権は政府として信任しうる最低限の条件を逸脱した。

柳沢発言に端的に見られる姿勢は、彼のパーソナリティに依存するものではない。たとえば昨年メディアによってようやく取り上げらた「偽装請負」事件に端的に示されているように、いまの政府や経済界の基本姿勢である。「偽装請負」は、使用者に課せられたが長期派遣社員への正規雇用義務をごまかしたものである。企業は普段の労働からばかりか、雇用形態の違いに存在する差別賃金からも収奪し、社会保障費の使用者負担すら知らぬふりを決め込もうとしたものだ。一連の事態の「発覚」を受けて、経済界は義務を果たすように動くべきであった。ところがあろうことか彼らは長期の派遣労働者への正規雇用義務そのものの廃止を要求しだしている。彼らは働く者を「国際競争力」にとってのコストとしてしか評価していないのである。

「他者の権利侵害者は、他者の人格をただ手段としてのみ利用しようと思いをこらし、他者が同時に目的として尊重されるべきであることを、考慮に入れていないのである」
カント

権利侵害者を閣僚にとどまらせてはいけない。人を材としてではなく人として扱え(Y)