長居公園での行政代執行が迫っている。

人の寝食と仕事の場を奪うことが「公共の福祉」の増進に適うはずがない。
それは富める者の自由に最大限の配慮を怠らず、貧しい者からは自由と生存を奪い去る姿勢でしかないからだ。
大阪市は国際的なスポーツイベントのために、人の暮らしと尊厳を台無しにしようというのか。
行政代執行をやめろ。奪うなら金持ちから奪え。(Y)

以下は事前弾圧の不当逮捕によって獄中にある釜日労の仲間からの手紙。
(一)
 長居公園での若い労働者のみなさん。
 奴ら大阪市による行政代執行を前にして、ずっと地道に、労苦をいとわず長居公園テント村を現場で支えてきたみなさん方のことは、監獄にある私にもよく伝わっています。
 私は64歳なので、みなさん方よりは少なくとも2倍は歳くってるでしょう。そんな私ですが、自分の獄中生活を誰よりも励ましてくれているみなさん方への恩義は、これからも忘れまいと心しています。

 (二)
 若い労働者のみなさん。
 この国の支配者どもはローソンの店員やビル管理会社のガードマンなどとして働いている若者たちのことを、「フリーター」とか名付け、連中がそのことをどのように言いつくろおうと、本音のところでは蔑んでやみません。私はこの、使い捨ての臨時雇い労働者として働かざるをえない若者らに投げつけられた「フリーター」という言葉と、同じ支配者連中が公園労働者たちのことを指して、二言目には「気楽で、好き勝手な人たち」と言いたてていることが、一から百まで似ており、連中がこの二つの言葉をもって何をやろうとしているのかも同じだととらえています。私はこの事一つをとってみても、臨時雇いの身で、働きのわりには報われることのない若い労働者と公園労働者が出会い、つながったのは、それなりの理由があっての、必然だと思っています。

 (三)
 若い労働者のみなさん。
 私は、奴ら検察側のお得意とする、なんでもありの手口で逮捕された当初、留置場は西成署でした。その折、房で一緒だった人が先の「大阪城・うつぼ」での代執行のことを「朝から晩までやってたね。リヤカーのおっさんら根性あるね」と話すのを耳にし、この言葉に私はひとり嬉しがったのですが、その一方で、私にはもひとつ物足りないものでした。それは、この人が見たというテレビニュースでもちゃんと映し出されてた筈なのに、この人の話には、あの日、根性のあるリヤカーの労働者らがスクラムを組んだあいかたの、若い労働者のことが出てこなかったからです。
 先の「大阪城・うつぼ」での現場の実際が示したように、あの場での若い労働者たちの姿は、およそ知識青年による“野宿者支援”とは異なり、賃金仕事を奪われた野宿労働者という一つの味方を得ることで、支配者どもの「フリーター」策をもってする抑圧に負けまいとする、若い労働者たち独自の姿としてありました。

 (四)
 もう何年も前からですが、この国のどこであっても、テント・小屋がけの労働者がおる所では、野宿労働者と若い労働者の出会いは、ごく普通のこととなっています。
 一つは、私が西成署の留置場で会った人の話がそうであったように、この野宿労働者と若い労働者の出会いとつながりは、まだ分散状態にあり、世間の誰もが分かるかたちでの社会の流れとはなっていないこと。
 あと一つは、確かに、かって天王寺公園事務所の施設管理課長の阿部が、浪速区の恵美公園で労働者の小屋をつぶそうとした時のことで、一度はこんなことがあったと聞いています。何人ものポリ公に見守られる中で、労働者らに追い返されたあと、暫くして阿部は「今だったら支援も帰ってるからもう一回行こう」と言ったのだが、労働組合員でもある部下から、「今日はやめときましょう」といさめられ、けっきょくその日の小屋つぶしは取り止めになったといいます。しかし今のところは、まだなんといっても、公園事務所の労働者らによる組織だった反乱に期待をつなぐことはできません。
 主にこれらの事情から、全国的にはまだバラバラな状態の、野宿労働者と若い労働者との出会いを一つにつなぎ、明確な社会勢力へと発展させるためにも、「大阪城・うつぼ」の時がそうであったように、どうしてもここ当分のあいだは、自分らのかたき連中とは、それなりに力ずくで闘っていくことが必要です。

 (五)
 長居公園での若い労働者のみなさん。
 働くものが蔑まれない世の中をめざすうえで、私は、あなた方には誰にもまして「私たちは野宿労働者の味方だ!」と言う権利があると思っています。
 プロレタリアートの最敬礼をもって。

2007年2月2日 昼いちばんに