釜ヶ崎で労働者300人集結、西成署を詰める

厚労相が「日雇い原則禁止」の方針を公表したというニュースあり。一方で、13日夜「あいりん」地区の労働者300人が西成署前に集結して「騒ぎ」になったとの報道あり。

大阪・西成署前、300人騒動 「警察の暴行に抗議」
警察署囲み200人騒ぐ 大阪・西成、警官4人けが 「わしの言い分を聞かないで物事を判断し、殴られたことに納得がいかない」


厚労相のいう「日雇い禁止」は、寄せ場には及ばない話だ。派遣法があろうがなかろうが、寄せ場寄せ場として存在し続けてきた。多くの人間が日本資本主義の動力となりながら、最底辺に押し込まれてきた構造がそこにはあった。産業構造の変化や不況により、寄せ場はすでに「求職の場」としてのかつての役割を失っているが、そこで生きてきた人間は、ただ黙って殺されてきたのではない。現に、今も、そこに生きている。あるいは寄せ場からも溢れて野宿労働者として転変していくことで、半ば殺されるようにしてなお、生きる。「おれたちはここに生きて、いる」以上、「集住の場」という地域的な機能は、やはりまだ失われていないように思う。

西成署前での警察への抗議は、やはり日雇いに対する警察の差別的な対応が発火点となっている。釜合労によれば、労働者(メディアによっては「無職」としている)が飲食店の対応に抗議したところ逆に警察を呼ばれ、やってきた警官にろくに話を聞いてもらえずに暴行を受けたということのようだ。結果として官民合作になってしまう日雇いへの差別こそが、こうした「騒ぎ」の底流にあることは間違いない。釜の戦後史は、釜ヶ崎が地域編成的な変遷を伴いながらも戦前の状況を引き継ぎ(*)、差別と収奪への抵抗として「騒ぎ」ないし暴動を生起させてきたことを示すだろう。

この抵抗・反撃は、やはり「雑多」な人々による集合が一つの生命線となっている。その集合的な力は、個々の生活圏が重なりあう寄せ場という地の利ぬきにはありえないはずだ。「仲間」が交錯できる地勢が生み出す潜在的な力というものが、どうしてもあるのだ。(だからこそ「愛隣」を名乗る「社会事業」が対策として登場し、釜ヶ崎という地名さえ抹消の対象とされてきたのだが──)

最も現代的な「口入れ人足」である日雇い派遣労働者には、そうした「場」がないように思う。口入れの媒体が電話やメール一本で済んでしまうというところにその特質がよく表れている。日雇い現場では労働者が入れ替わり立ち替わり現れては消え、社交による横のつながりなどは望むべくもない。これは従来の寄せ場の日雇い労働と近似している。しかし生活空間をともにしない現代の日雇い労働者は、労働現場でなじみになるような関係性もなくただただ流動していく。ここに日雇い派遣の労働運動の、もしくは合同労働運動の困難さがある。合同労組の運動が地域的な生活・社会運動を指向するのもゆえなしとしないところである。

それにしても西成署って何も学習しねーんですね。機動隊が盾で蓑虫みたいになって署を防衛したようだけど、今時の若い警官も相当ビビってたに違いない。

釜ヶ崎の古い歴史については、河本乾次「釜ヶ崎雑話」(『歴史と神戸』第5巻第2号、1966年5月15日)あたりが参考になるかもしれない。河本は1898年大阪市東区生まれ。高等小学校卒業後、生涯一労働者となる。1924年には南海鉄道争議に指導的役割を果たし、馘首後アナキスト運動に入る。戦後、神崎川の改修工事に人足として従事、大阪府従組に参加して現業労働運動に尽くした。82年7月没。蔵書寄贈により大阪社会運動資料センター((財)大阪社会運動協会運営)に河本文庫がつくられたが、現今の大阪府の「改革」により同センターの行く末が危ぶまれている。

(N)


6月15日 2:1AM 追記

釜ヶ崎トロールの会(釜ヶ崎の名称がついてますが大阪キタで活動するグループです)のウェッブログに西成署前での事態についての報告が転載されています。釜パトメンバーの知人からの情報とのこと。

思っていたより西成署の暴虐ぶりがひでえ。店で殴られたんじゃなくて、署に連行されたうえで密室でメチャクチャされた……ひどすぎるだろこれ!

前日12日の午後3時ごろ、鶴見橋の店で警察を呼ばれ、西成署に連れて行かれた労働者が暴行された経緯は、釜合労がメールやビラで知らせていた通り、以下のようなもの。
当事者となった労働者は、無銭飲食などではなく、つっけんどんな客扱いに不満を言っただけのことだった。
で、連れて行かれた西成署の3階の個室で、4人の刑事に代わる代わる顔を殴られ、紐で首を締められ、足蹴りされ、挙句の果てに両足持たれて逆さ釣りにされた。
気が遠くなると、スプレーをかけられたと言う。
生活保護を打ち切ると脅かされて、その店に近づかないという始末書まで書かされている。

西成署警察官の暴行に抗議する!(釜パト活動日誌)より一部引用


西成署は釜ヶ崎の労働者に謝罪しろ!

(N)


6月17日 2:5AM 追記

釜ヶ崎についてウソ垂れ流しにしてるやつらは恥を知れ。

ところで、遠くにあって釜ヶ崎って何?という向きには、おせっかいながら、平井さんの本をおすすめしておきます。やはり現場の人間が書いたもんじゃないとね。釜ヶ崎暴動を「俯瞰」するつもりで、90年代のスペクタクル(=マスメディア報道)だけひっぱってくりゃいいってもんじゃない。

平井正治『無縁声声 日本資本主義残酷史』(藤原書店、1997.4)

「生き字引」が脚でかせいだ地域史としても貴重な仕事。自戒を込めていうが、人の褌で遊んでるだけじゃなくて、ちゃんと現場でかせぐべし。

(N)