ルー大生がんばれ

非常勤講師の削減に端を発し、琉球大学で学生たちがキャンパス占拠を続けている。
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新緑の中にテントが立ち並ぶテントは美しい。そこでの生活はこの闘いに触発されたひとびとの交錯点となっている。これほど楽しく痛快なことがあろうか。私はこの占拠を支持する。

この20年間、全国で大学は学生が自律自治的に活動する空間を削減し続けてきた。東大駒場寮、山形大学学寮の廃寮、早稲田大学地下部室・学生会館の撤去、法政大学学生会館の撤去などである。琉球大のルー大化は、大学の新自由主義的再編の果てに生じた事態なのである。

この20年間、この社会で知的関心を掻き立てられ、教育と研究の成果を社会に還元する志向性を持つ学生は、次々とキャンパスから追放された。そして自らの知力を立身出世=キャリアデザインにしか用いない学生をのさばらせ、それら消費者にこびる教員と管理者をのさばらせてきたのである。その結果、もはや大学は学生にまともに教育を与えることすら放棄しようとしている。大学の貧困=学生と教職員の知的退廃はここに原因がある。

だが琉球大学のみが責めを負うわけではない。むしろ琉球大学が幸運にも手にした可能性に、学長はじめ管理者たち、全教職員と全学生は気づくべきだ。可能性は学生有志がキャンパス占拠を開始したことにこそある。この闘いの推移と帰結にすべてがある。知的貧困から自由な学生たちが占拠に立ち上がり、全国の大学が陥いっている知的貧困を解決するための扉を叩いているのだ。

琉球大学は学生有志の声を聞け。そして感謝せよ。
全国の大学は琉球大学の占拠に耳を傾けよ。そして支援せよ。
新自由主義的な大学再編に立ち向かい、大学を再生させよう。


2009年3月20日
山口素明(フリーター全般労働組合副執行委員長、元東大駒場寮総代会議長)

座り込みと支援のお願い


 現在、琉球大学では、非常勤講師の大幅な削減とそれに伴う外国語科目のコマ数削減がその根拠や必要性が十分な議論もされないまま、今年の四月から新入生を対象として強行されようとしています。これに対し私たち学生は強い危機感を持ち、二度にわたり琉球大学当局に対話を要求してきました。しかし大学当局は、一度目は文書による拒否、二度目は回答すらせず、学生との話し合いの場を設けないという愚行を重ねました。

 そこで私たちは、正義、自由、権利、抵抗を学んできた学生として、大学当局の暴挙に黙することに抵抗するために占拠を実行しました。沖縄の歴史を振り返ると、座り込みという占拠の一つのかたちもまた、抵抗のアクションとして行われてきたことがわかります。座り込みは、戦後の沖縄において民衆により担われたラディカルな「自己決定」の作法として現在まで脈々と受け継がれてきました。座り込みは、圧倒的な軍事力に対し、人々がそれぞれのより良い未来のための話し合いの場を直接的に求めるための手段として、沖縄に脈々と根付いてきました。私たちは、沖縄における抵抗の歴史に学び、座り込みという抵抗のアクションによって新カリキュラム廃止を訴えます。

 今回の占拠は、話し合いを絶えず拒む大学当局の姿勢を前にして、どうしても争点と向かい合わなければならない状況を作り出すためのものです。この喫緊の事態において今回の占拠は、もはや新カリキュラムに対する批判を大学当局が無視し続けることができないよう、争点を劇的に盛り上げようとするものです。あらゆることが学生のために行われるべきである大学において、大学が学生の言葉に全く耳を傾けない危機的事態を打破しなければなりません。

 また、今回の事態は、琉球大学の学生と非常勤講師のみの問題に留まりません。この占拠は琉球大学ネオリベラル化とそれに伴う教育の貧困化といった、個別的な状況へのレスポンスとしてはじまりましたが、今回の問題は、大学自治の崩壊、大学の教育放棄、沖縄県の教育の危機、雇用問題といったより広い射程を持つはずです。

 この問題は主体が、学生や非常勤講師だけではないことを示しています。新カリキュラムが何の根拠もなく成り立っており、誰のためにもならないことはこれまでの経緯を見ても明らかです。しかし、あらゆるハラスメントが横行する琉球大学で、学生が新カリキュラム廃止の意志を表明することは少なからず恐怖を伴い、それが常態化している状況です。選任教員の大半は沈黙し、共なるものを作るにも難しいこの事態において皆様の支援を切に願うことでしか希望が持てない非常に切迫した状況なのです。

 新カリキュラム廃止に向けてどうか、共闘して下さい。座り込みの参加、teach in、差し入れ、メディアでの発言、なんでも結構です。皆さまのご支援・ご参加を心よりお待ちしております。

                      琉球大学学生有志一同