「命の値段」に「祈る」前に行動しよう

さぶろうです
こちらのメーリングリスト原発の状況について一喜一憂しているみなさんへ。
原発労働者、特に危険な作業に従事させられる労働者がどのような人々であるのかに思いを馳せたことはありますか?

首都圏内で恐怖に怯えつつ室内に留まることは自衛として当然至極なことでありましょう。
しかし、少なくともわたしたちは今いる場所から逃げることができます。
正確に言えば「逃げる」という選択肢を享受できる立場にあります。

まどろっこしいので端的に述べます。
現在原発の災害復帰に従事している作業員は「逃げる」という選択肢すら奪われています。
少なくとも現段階で現場作業に従事するということは、爆発による即死というリスクがかなり高いのはいうまでもなく、
高濃度の放射線に曝された故に発症するであろう被爆症状は、「高みの見物」で今日明日の被爆を論じ合っているわたしたちよりも確実に早回しのごとき速度で現れます。たとえ復帰作業に成功したとしても、原子炉の傍で「決死」の作業をしている労働者は、「それ」に比べれば「はるかに安全圏内」にいるわたしたちよりも確実にその身体は放射能によってボロボロに蝕まれているのです。誤解して欲しくないのは、今や「安全圏」に居住してるとされたわたしたち首都圏住民の居住地が「実は安全ではなかった」という事態について無化せよ、ということなのではありません。被爆者、または限りなく被爆予定者となった今現在のわたしたちだからこそ実感を以て想像力が喚起されることが可能になったのだ、ということを述べたいのです。

ハローワーク:作業員(福島第1・第2原発)の求人情報
原子力発電所内の定期検査・機械・電気・鍛冶溶接及び足場作業
雇用形態:正社員以外/日給9000円〜11000円/
基本給(月額平均)又は時間額189000円〜231000円/
年齢・資格・学歴不問
http://job.j-sen.jp/hellowork/job_3373229/

高濃度の放射能が飛び交う中で労働を強制される「決死隊」とはこのような賃金で働いている人々です。寒村の農業従事者、漁師、土木作業員、建築作業員、そしてそれだけでは到底賄えませんので求人場所は必然的にアンダーグラウンドの求人組織を通じて確保されることになります。そのアンダーグラウンドの「場所」とはまさに「寄せ場」のことです。

その日の職にアブレたら食べる=生きていくことができない下層労働者に職業選択の自由などありません。野宿している駅や路上から、スポーツ新聞の求人欄から、はたまた東京の山谷、大阪の釜ヶ崎、横浜の寿、名古屋の笹島、福岡の築港で、現場手配師によってかき集められた下層労働者が文字通り「寿命を物理的に縮める」ことをひきかえとして、それにひきかえるとするならばあまりにも安すぎる賃金ではたらいているのです。

調査報告/原子力発電所における秘密 日本の原発奴隷
http://www.jca.apc.org/mihama/rosai/elmundo030608.htm
原発ジプシー
http://www.janjanblog.com/archives/27114
原発で働く人々
http://www.nuketext.org/roudousha.html
隠された被爆労働〜日本の原発労働者(イギリス channel4 1995年 放送)
http://www.youtube.com/watch?v=92fP58sMYus
http://www.youtube.com/watch?v=pJeiwVtRaQ8&NR=1
http://www.youtube.com/watch?v=mgLUTKxItt4&NR=1

震災と事故の前、仮に反原発運動に関わってきたという免罪符をもっていたとしても、身体と生命と賃金を搾取されまくっている原発労働者に「決死」の作業を「強要」するのであれば、誤ったエネルギー政策を領導した政府役人や電気産業はいうに及ばず、ネット右翼プロ奴隷の連中が利己主義的に叫ぶ「決死隊よ頑張ってくれ」などというおためごかしと何ら変わることなどない。

「臨界が起きないように何とか頑張ってほしい」と反原発運動陣営が叫ぶとき、わたしたちは文字通りの「いけにえ」として原発労働者の命が消滅することを意味しているのだ。なんという茶番だろう。電気消費者として政府や東電に事態の収拾を求めているわたしたちは、「今後何不自由なく生きていくことができる」というささやかな望みさえ奪われ、逃げ場を絶たれた絶望の労働=死を約束された労働を彼らに強制しているのだ。

「このような時だから政府や東電の批判をするな」とほざく大政翼賛会を髣髴とさせるファッショ野郎どもの言い草に騙されてはいけない。こいつらは「世界中からの祈りが届いています、ウレシイ」とか「こんな時でも一致団結できるニッポンジンってサイコー」などという「呪文」で現状が変わるとでもおもっているらしい。あほくさ。

これらファッショ野郎どものブログを読んでください。ご親切、ご丁寧にも「とてもすてきなおことば」がほざかれております。ご照覧ください。
 > 岡林信一です。
 > 参考までにお昼に転送した、「被災地ではない地域のツイッターユーザーにお願いしたい5つの事」
 > http://bit.ly/eYPMbr

「特に原子力発電所の設置を反対していた人達も、ここぞとばかりに前に出てきていますが、今のあなたがたにそんな批判をされている人達こそが、放射線との恐怖と戦い、被害をこれ以上大きくしないように頑張っている人達なのです。」

この能書きを翻訳しましょう。
「私は反原発運動が政策提言することに反対します。なぜなら原発労働者が彼らのの命と引き換えに献身的な活躍をしてくれているからです。こんなこというわたしだが、もちろん原発労働者じゃないですよ。原発労働者に較べればはるかに安全圏な居住地から物言いしてますよ。私は確かに彼ら原発労働者に対し「死んで来い」と命令する政府と東電に間接的な加担をしているが、直接「死んで来い」と命令しているわけじゃないので心など痛くも痒くもありません。政府が「死んで来い」と命令するんだから、彼らの約束された死に対してわたしには責任などとりませんよ。挙国一致だから、右から左までまったく同じことを口にしなくちゃいけませんな。その言葉とは「命を捧げてくれる原発労働者に感謝しましょう」というスローガンです。みんなが同じこと言っているので原発労働者に死を強制したことに良心の呵責などあるわけがないじゃん。原発事故が起こったという存亡の危機にあるので、政府の命令には従いましょう。政府を批判しちゃいけないですよ。政府や東電を批判する人間はファシズム体制建設の邪魔になるので、黙っていろ」

さて、きれいごとの建前を本音に翻訳したわけだが、どこぞの時代の、どこかのクニの言い草に相似していると思いませんか?

「祈り」や「誇るべきニホンジンの精神」などという薬どころか毒にしかならない醜悪な「呪文」を唱え、まき散らすことではない。
わたしたちがやらなければならないことは「決死隊」に対して「死を強制する命令発動」を中止させ、原発労働者に一方的に与えた苦痛を詫びなければならないのだ。それは私自身も当然断罪されるに値する者でもあるのだ。第二次大戦中、「特攻隊としてお国のために立派に散華してくれ」と前線に送り出した「民衆」と何ら変わりはないではないか。わたしは批判を承知で発言する。「原発労働者よ、自らの死を強制される労働から逃亡せよ」と。わたしは政府、電気会社、国粋主義者ファシスト、利己主義者どもと一緒になり「決死隊よ死にに行け」と叫びながら「有事局面を乗り切るための一致協力体制=大政翼賛会」に糾合されていく自称「『市民』活動家」どもと一線を画すことを宣します。実際に街頭に出て抗議の声、批判の声をあげなければ、このクニのエネルギー政策を変換させることなどできないじゃないですか。「祈り」や「呪文」などアヘンのような害悪しかない。敵はだれなのか、責任を誰に取らせなければならないのか、その能動的実権を持っているのは民衆の側です。「祈り」や「呪文」でごまかしを図ろうとする背後襲撃者はしっかりと民衆の戦線から放逐しましょう。戦時中の転向者のように、戦後の労働運動での第二組合のように、「味方の振りをして背後から襲撃を行う」者たちほどタチの悪い者はいなかったではないですか。

放射能降り注ぐこの東京にて、これまでの政府が行なってきた過てるエネルギー政策に抗議するデモや集会を開催しよう。
「祈り」などという「無力なあきらめ」を捨てよう。
排外主義とコインの裏表である「自民族無条件賛美」という毒薬に酔いしれることを放棄しよう。
東京電力に対し、生命の浪費とリスクを担保に金儲けに邁進してきた悪業を糾弾しよう。
政府と東電にすべての経済的損失を補償させよう。
2011年3.11を転換点として、原子力に依存しないエネルギー政策を確定させよう。
原発労働者に「死んで来い」と発令することを直ちに止め、特攻の如く死への片道切符を強要することに反対しよう。
すべての原発労働者に命を削ったことへの正当なる対価を支払いましょう(能動)/支払わせましょう(他動)。

※それでも「メルトダウンが怖い、なんとかしてくれ」とおっしゃるあなたへ。
「あなたにもできる一つのこと」があります。

あなたが原発労働者となってベントを開放し、炉心への注水作業をおこなってください。
自分以外の誰かが何とかしてくれるだろう、という他力本願はよくないことです。見て見ない振りは通用しません。
自分だけ助かりたいので他人の命を強制的に差し出す、なんていうことで救済されようとするのは利己主義です。
原発労働者になれば確実に寿命は縮むか失いますが、それで数千万人の命が救われます。散華するのはどうですか?
さらに言えば、かなり高い割合で命を失いますが、日当として9千円以上お支払いすることはいたしかねます。
「死んで来い」と命令する側になって良心の呵責に苛まされるよりも、喜んでその命令を受け入れることができる方は是非志願してください。

そうです。
「自分がやりたくないことを他人に押し付けるな」ということです。