「棄民国家とキャベツの闘い」

売れないキャベツは、農家が掘った穴に埋めて廃棄される。売れるキャベツは引きちぎられ細断されてトンカツの添え物になる。お代わりは自由(free)。

昨年末の安倍自民党政権の誕生を受け、最低生活費の算定基準を引き下げる予算案が閣議決定された。生活保護基準以下で暮らす人々の所得水準と比較して現在の支給水準が高い「逆転現象」と、長期のデフレによる物価下落による「保護水準の高まり」が理由だ。

だが、生活保護基準以下の所得で働く人々との比較で支給水準を決めることは誤りである。生活保護の受給人口は214万人に達しているが、本来ならば支給を受けるべきだが受けずにいる/妨害されている人々は800万人に及んでいる。「逆転現象」は、保護を受ける権利を持つ人々が、正当に権利行使できないことの結果に過ぎない。それをなくそうというなら、改善すべきはその状況を生みだす現行の保護制度の構造的な欠陥と保護世帯への差別である。なのにどうだろうか。昨年は自民党所属の国会議員が先鋒となって受給者バッシングがこの社会を席巻した。このような状況で、誰が安心して権利を行使できるか。この問題を放置して「逆転現象」はなくならない。

物価水準の下落による「保護水準の高まり」も誤りである。大型液晶テレビハイブリッド車スマートフォンなどのネットデバイス、など金持ちが欲しがるものは価格が低落している。連中にとってはうはうはな20年だ。だが貧乏な私たちにとってはどうか。食料品の価格は下がったがそれはファストフードやコンビニの弁当の話だ。借家の家賃は上昇し、銭湯は値上がりし、生活にかかる費用はどんどん増えている。駅構内や公園など無料で使えた空間はつぎつぎと民間企業に占拠され、ジャンクフードしか口にできず、街に出るだけで金が出ていく。

保護費の減額は、貧乏人の所得水準を確実に低下させる。

連中が言うように、保護に「依存」する一定の人口があるとしよう。支給水準が下がれば、「依存」できなくなった一定の人口が労働市場に出てくるとしよう。一日15時間拘束されても賃金の割増しもなく、無保険状態で脅しつけられて、なおしがみつかなければならない営業職の市場に。嘘と暴力にさらされ賃金を踏み倒されても愛嬌を振りまく水商売の市場に。改善を申し入れれば怒声と暴言が浴びせかけられる市場に。そこに労働力が供給される。単純な話だ。供給の増加
は価格を引き下げる。労働力の買い取り価格である賃金をはじめとした労働条件は確実に低下する。

「逆転現象」や「保護水準の高まり」を言う連中の魂胆は知れている。連中にとって生活保護最低賃金も自分のことではない。むしろ保護を受けない貧乏人が、保護を受ける貧乏人を攻撃するように仕向ければ、保護基準以下で人を働かせて儲ける自分たちに怒りが向くことはない。ああよかった、という具合なのだ。

キャベツ以下の扱い。余剰とされた人々を互いに争わせることで廃棄する方向に、この国は向かっている。だが私たちはキャベツではない。廃棄には抵抗し、ちぎられ細断されることも拒み、無意味な貧乏人の内戦を停止しよう。連中のもくろみを破産させよう。フリーター労組生活保護費の減額に反対する。

2013年2月2日
フリーター全般労働組合