朝青龍問題は人権・労働問題だ

横綱の包囲

横綱朝青龍が包囲されている。怪我を理由に夏巡業を休業しながら里帰りしたモンゴルでサッカーに興じていたということで、所属部屋・高砂部屋相撲協会に厳しく咎められ、多数のマスメディアからは激しくバッシングされ、今なおその状況が続いている。その型破りとされる言動や、週刊現代が主張している八百長疑惑などの「伏線」もからんで「品格に欠ける横綱」という叩き方が蔓延し、横綱は四面楚歌状態にある。

怪我で休むとして故郷で政府主催のサッカーチャリティイベントに参加していたことは確かに軽率だし、巡業をサボったと言われても仕方がない部分もある。しかしこれに対する「処分」がまた「極刑」ともいうべき非常に重いものだった。二場所連続出場停止、九州場所千秋楽(11月25日)までの謹慎(稽古場・病院以外の外出禁止)、四ヶ月間30%の減俸だ。かなりキツイ。

不祥事の「ケジメ」の付け方には「業界」それぞれの慣行にしたがったものがあるのだ、という論議が存在していることは承知しているつもりだ。減俸処分も公務関係などでよく聞く話だし、あるいはプロスポーツ選手の一定期間にわたる競技出場停止ということも業界慣行としては一つのやり方なのだろう。ちなみに力士にとって場所の出場停止は、月給以外の収入(本場所手当、力士褒賞金、懸賞金)を自ら手放すことであり、「競技生命」の短い世界ではやはり減俸処分とあわせてそれなりの「ケジメ」の付け方ではあるだろう。そのことの評価はおくとして、あえて「極刑」というのはやはり謹慎処分のことだ。

制限された人身の自由

「謹慎」といえば殊勝な語感だが、外部交通権が制限されてはいないとはいえ、身体の自由を阻害するという意味では軟禁には違いない。他の力士でも、たとえば旭天鵬がこの四月に交通事故を起こしたとき、夏場所出場停止・一ヶ月謹慎・減俸の処分を受けている。なるほど謹慎中は部屋で稽古、それ以外は外出を控えるというのは相撲業界では慣行なのだろう。しかし「解雇まではしない」ことの担保として処分があるなら、謹慎は強制的なものとなるほかはない。この間の相撲協会や所属の高砂部屋(同親方)の朝青龍に対する態度を見ると、まるで一意に自宅に封じ込めようとする対応であり、この処分は事実上の人身の自由への制限だ。

こういうと何を大袈裟なという向きもあるかもしれないが、稽古場・病院以外は出歩くなという私的時間にかかる謹慎処分とは、事実上の拘束でなくて何なのか? 外部交通権があるから軟禁ではないとする見方があるとすれば、それは処分する側に甘い判断といわざるをえない。そもそも「軟禁(house arrest)」は外部交通権というよりは、拘束そのものを表す概念だ。交通権の制限はむしろ付帯的な事柄として取りざたされる。あのアルベルト・フジモリにしてもチリで「自宅軟禁」状態にあるとされているが、実態としては外部の人間が出入りしているのが現状だ。それでもフジモリ自身の移動の自由が制限されているからこそ、彼は「軟禁」状態にあると国際的に捉えられている。このことは「Fujimori under house arrest」などとして検索し、目立った情報資源に目を通せば理解できることと思う。ちなみに軟禁より強度の自由の制限である監禁も、日本の刑法第220条がいうところのものとしては、一定区画から脱出できない状態に置くことによって身体の自由を拘束することを指し、必ずしも物質的障害を手段とする必要がないとされていることを付言しておこう。

で、この謹慎=軟禁はまた、身体の自由の制限が結果して精神的拘束へと転化する可能性も当然ある。この間の協会・部屋の態度やバッシング報道の洪水という状況も忖度すれば、処分には心理上の強制的な拘束の効果があったとしても穿ちすぎではない。事実、日本的風土・角界の伝統的慣習にすんなりなじめなかったであろう「外人力士」としての朝青龍は、処分と糾問報道の包囲に動揺して精神的に変調をきたしている(「抑うつ状態」「神経衰弱状態」)と複数の医者に診断された。相撲協会が否応なく下した一方的な処断の結果がこれなのだ。

帰郷のうえで静養させた方がよいほど精神的に参っているとの一人目の医者の診断に対し、協会・所属部屋ともに難色を示していた態度は、結果として「奴隷的拘束及び苦役からの自由」(憲法第18条)が侵害される可能性についてはまったく思慮が及んでいないことを物語る。二人目の協会掛かりの精神科医による同様の診断・進言により、協会理事長の北の湖がやや態度を軟化させているものの、高砂親方は「帰郷より先に記者会見」と留保・牽制し、その他の親方連の同様のすげない反応を示す報道をなどを見るにつけ、角界は基本的に戦前からの上意下達の位階制的な体質を引きずっているのだと疑わせるに十分でもある。

労働問題としての朝青龍問題

戦前のことに言い及んだが、戦前の大半の力士の待遇は、戦後改革(1958年)にいたるまでほとんど省みられず実に悲惨なものだった。しかしというべきか、だからこそというべきか、経営ギルドである相撲会所─相撲協会の封建的な専制支配に相対する力士自身の団結もまた存在していた。待遇改善・ギルド運営改善を要求する集団的な争議行為としては新橋倶楽部事件(1911年)、三河島事件(1923年)、春秋園事件(1932年)が史上有名な事件として記録されており、結果として高砂浦五郎の個人的運動となった先駆的な改正組の闘い(1873年)がある。これらは単に待遇改善を求めた賃金闘争というだけではなく、経営ギルドが興行収入のほとんどを牛耳り専横を続けていたことに対するワーキングプア力士たちの憤激の奔出だった。だからこそ角界を二分する衝撃力をもった春秋園争議もまた、経営ギルド=相撲協会の運営改革を求めたのである。そして角界を二分したこの戦前最後の力士大争議は結果的に敗北に帰結したが、争議の要求の幾つかは戦後に実現していった。力士には角界の趨勢を先取りする先見の明があったのだ。

このように歴史的な力士争議をめぐる意味を考えると、今日の朝青龍の問題とは助け合える仲間を持つことができない孤立した被雇用者としての問題、という側面が浮かび上がってくる。現状では横綱の総収入は貧しい「格下」力士たちにとっては羨望の的だろう(特に十両以下は戦前・戦後を通じて常にペイなき悲惨な「徒弟」なのだから!)。即時的には待遇の違いによる「上位」「下位」力士間の気分的な障壁は大きいと思われるが、しかし経営者である相撲協会・部屋の専横に対する被雇用者としての団結の不在こそが、横綱の孤立の問題の深さにつながっている。横綱朝青龍は力士の親睦組織である力士会の会長だが、この現在の力士会は今回の横綱包囲に対して緩衝的な役割を果たそうとはしていない。はっきりいえば会は被雇用者の利益団体ではない。

しかし先述したように、力士会は戦前の力士争議で重要な役割を果たしてきた。幕内上位の力士を先頭にたてて多くの力士が結束する触媒となったのがこの力士会だった。もちろん会は折々に登場したもので、そのときによって成り立ちなど内実は異なっているはずだが、経営体に対抗する力士の団結の物質化という意味では総じて共通している。この団結としての力士仲間の存在如何が、「経営者による力士の譴責」に大きく影を落とすだろう。もちろんここでifをいうことはお笑い種かもしれないが、仮に会長を擁護する力士会の動き、あるいは力士仲間の団結があれば、相撲協会高砂部屋もうかうかと前近代的な支配策動をとれなかったと思われる。

だからこそ、ここであえて言おう。朝青龍問題とは人権問題であると同時に労働問題なのである。大幅な賃金カットや人身拘束の攻撃が無為に通用してしまうということは、労資間の問題として激甚な事態である。

全国の大相撲力士よ団結せよ。団結して力士会を労働組合として復活させ、仲間に加えられた不当な人権侵害を粉砕しよう。

(N)