労働組合は「非正規」雇用労働者を組織してこなかったのか
こんなタイトルだと先輩方に怒られそうですね。しかしこうした見方って案外あるもんなんですよ。
例えば、短言を意地悪く引っ張り出すようですが、次のようなブログ上の一文があります。
われわれ合同労組の組合員にしてみれば、それって「企業内労組」の間違いじゃないの? と叫びたくなるところです。このギャップっていったい何なんだろう。悪気があるとは思わないけれど、他人事だからこそこうした他意のない? デマゴギーがいえるのかもな、と思います。
いわずもがなですが、日本の労働運動のなかには「非正規」雇用労働者の権利を守るために闘ってきた運動の潮流があります。この流れについては大戦前の「一般労組」「自由労組」の歴史から繙く必要がありますが、戦後の大企業中心の企業内労組が労働運動の主流となった後においても、そこから取りこぼされてきた中小零細企業労働者の組織化を進めた労組は幾らでもあるということができます。企業・事業所単位ではなく、個人加盟が可能な「職場の外にある組合」としての地域合同労組がそうです。
戦後労働運動史のなかで、そうした組合として著名なのは全国一般などですが、この全国一般は大戦後の労働運動が「左右」激突の政治主義に引き回されていくなかで、「中立」を掲げた中小企業労連〜全中総連の流れから出てきたものです。全中総連は「中立」を解消して総評になだれ込んでいくなかで、中小零細企業のなかでの組織化の努力をそのまま持ち込み、それが全国一般に結実したわけです。
もちろん合同労組運動は全国一般につきるものではありません。ニコヨンの母ちゃんたちや土方・運ちゃんの権利防衛に目覚ましい活動を繰り広げたものに、共産党系の全日自労(のちの建交労)があります。「反共」労働運動の側には一般同盟(のちのゼンセン同盟)があります。
労働運動が政党系列化・政治主義的分化を遂げていくなかで、それぞれの、あるいはどの系列にも属さない、まさに置き去りにされた人々が自ら守るために闘うための器としても合同労組はあったのだといえます。今はなき富士地区合同労組は活動の動機について次のように述べています。
中小零細企業労働者、臨時工、下請け社外工等多数の未組織労働者の身分と特権的労働条件維持のクッションとして、無権利無抵抗の状況の中で、手を指[ママ]しのべる仲間もなく、低賃金で、労働強化を強いられており、このような中小零細企業労働者の救済は、日本の労働運動の主流をなしている企業別労働運動では、資本主義的序列に組込まれたまゝその下積み的地位からの脱出は不可能であり、資本主義的序列の中での特権要求ではなく、すべての特権を廃して平等な人権を確立し、一人はすべての仲間の為に、万人は一人の仲間の不幸にその力を結集して努力する事にこそ労働運動の真髄があり、その為、企業の別、職種の別を超えた、すべての労働者の団結こそが労働組合の組織形態の基本となるべきであり、その組織実践を通じて、日本の特殊な個別企業集団の利益追及の形から脱皮をも図る事が出来る。(富士地区合同労組一八年第一号、昭和四十六年八月十日、組合長 福田武寿)
いわゆる労働運動の右翼的再編のもとに連合が成立し、その流れのなかで全国一般が潮流ごとに分裂していくという曲折があったにせよ、合同労組の運動は、新たに何のしがらみもなく登場したものも含め、それぞれの地域における組合個々のなかに脈々と息づいています。居並ぶスポット派遣企業の悪どさを撃ち、今なお闘い続ける派遣ユニオン。たとえマスコミに取り上げられなくても、パート、アルバイト、派遣、契約、あらゆる形態の「非正規」の苦境をフォローする全国各地のユニオン。地域合同労組という存在は今も昔も、「非正規」雇用労働者の最後の駆け込み寺としてあります。合同労組の末席にいる立場としても、実際その通りだというほかありません。われわれは、不安定で、低賃金の、まさにイレギュラーな労働環境に呻吟する仲間たちとともに活動しています。
一口に「非正規」というけれども、歴史的に「非正規」なものとしてまず存在させられてきたのは女性労働者と寄せ場の日雇い労働者です。あるいは「臨時工」、「社外工」、下請け・孫請け・孫々請けなどの請負の労働者。パート労働もまた非典型雇用のうちに数えられてきましたが、要するに使い捨てに都合のよい「非正規」としてのわれわれの先達です。非典型―「非正規」のもっとも極端な形態が日雇い(日々雇用)で、寄せ場で日々の就労機会を得てきた人々もまた先達。無論、パート労働者を組織した労働組合もありますし、今もあります。労組の外にあっても、例えば主婦戦線〜パート・未組織労働者連絡会などの闘いもありました。寄せ場では、いうまでもなく日雇い労組の闘いがありました/あります。
これらのものが仮に「見えない」のだとしても、だから「存在していない」ということにはならないだろう、という話でした。
(N)