「東北地方太平洋沖地震緊急支援市民会議・第6次トラック隊」報告(画像版)

先日投稿しました雪野建作さんの報告
http://d.hatena.ne.jp/spiders_nest/20110607
の画像版です。撮影・報告文共に雪野建作さんによるものです。(北島教行 記)

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2011.04.30〜05.02 東北支援



10 時過ぎに東京を出発、PA にて



福島西インターチェンジ東北道を降りる


福島市内で、平常の4−5 倍の放射線を検出 1.16 マイクロシーベルト(μSv)相当
※計器の指示は1 分間の検出放射線の数(cpm、 1cpm=8/1000μSv で換算)


115 号線を相馬市に向かう


霊山パーキングで、高い放射線を検知
霊山パーキングは福島第一原発から飯館村を経て北西に位置している。
ここで、今回の行程で最も高い放射線量を検知した。
前回は114 号線を通り、これよりもはるかに高い線量、3000cpm 24μSv を検知したとのこと。



地表面で515cpm 4.12μSv


ドアと窓で密閉された休憩所のテーブル上では、141cpm 1.13μSv だった


南相馬市に入ると、田畑の中に取り残された漁船が多数、見られる。


夕闇迫るころ、南相馬市原町区の救援物資集積所に到着した。


荷卸しした救援物資。左が新鮮な野菜と果物、右がタオルと軍手である。


原町駅の近くに宿をとる。近くではコンビニも営業を再開していた。 前回は街がずっと暗かったという。


宿舎の駐車場で測定


翌日、津波に被災した海側の萱浜地区に向かう。


街の生活道路から数メートル下がった水田地帯は津波に襲われ、散在する集落が壊滅していた。以下3 枚、同じ位置からパノラマ撮影



基礎と床面を残して津波にさらわれた住宅



ひしゃげた送電鉄塔 その先には、鯉幟が建てられていた。


海岸線からかなり離れた位置に、堤防の大きなコンクリートが打ち寄せられている。 手前は水路のU字構


海岸には一抱えもある松の幹が打ち寄せられていた。根本は一気に断ち切られている。


わずかに残された堤防。かつてここから先には広い砂浜が続き、シーズンには海水浴場としてにぎわっていた。


寄せては返していった津波に、2m 近くも浸食されている。そこに、プラスチックごみが大量に漂着していた。


捜索され、取りまとめられた瓦礫には青または白の旗が立てられている。


帰路に通過した災害出動の自衛隊、第二普通科大隊(千葉県、習志野)の宿営地



伊達市霊山町の小国小学校ちかくでは、高い線量を検出した。


近くで見た、ペットの避難準備を呼びかける張り紙


磐梯リゾートインに設置された避難所に到着
途中、福島市で開催された「子供たちを放射能から守るための集会」に一部参加


避難所全景



翌日、共用PC の設置を完了。