トークセッション3 8月2日18時から

放射能は人を選んで降り注ぐ」−都市貧困層はいかに自身となかまを原子力災害から守るのか

○日時 8月2日 18時から
○場所 フリーター労組会議室
○資料代 500円(組合員無料)

【内容】2011年3月12日以降、原子力災害からの避難をよびかけ名古屋で活動する矢部史郎さんを迎え、原子力災害の現状と災害から自身となかまたちを守るための活動についてトークします。

以下呼びかけ文

被害をいうことが強い非難の対象にされています。被害を疑うこと自体、「風評被害」を招くことであり黙るべきだというのです。

これでは高線量地域から逃げる権利も、放射性物質を吸入せず、放射線を浴びずに暮らす権利も、まったく保障されない。

そしてこの被害を深刻に受けるのは、安定した所得がなく、食を自律的に選択することも難しく、医療からもはじかれた、私たちフリーター層を含む貧困者です。

放射能災害は何も終わっていません。福島原発での度重なる汚染水漏れ、高線量下での作業を強いられる収束作業員への被ばくのみを言っているのではありません。現在でも、法律的には1mSv/年が公衆被ばくの上限です。ところがそれを超える地域に人々は住み続けています。労働安全衛生法が「管理区域」に指定し、必要あるもの以外を立ち入らせず、18歳未満を就労させないことを事業者の義務とする線量の地域ですら、人は生活し就労しています。

被災地が日本の経済開発の周縁部と位置付けられた東北であったこと、収入を考えれば、安全性を第一に食物や水を選択できず、ファストフードやコンビニで飯を食わなければならないこと、これらのことが何を意味するのかを私たちは真剣に考えなければなりません。

放射能は人を選んで降り注ぎます。

2011年3月以前も、そしれそれ以降も、放射能は貧困者の上にこそ強く降り注いできたことを私たちは忘れるわけにはいきません。原子力災害は貧困者に向けられているのです。

なのに被害の「科学的根拠がない」ことを理由に、低線量被ばくまたは内部被ばくの被害の訴えは切り捨てられ、「復興」イメージの維持のために、災害は意図的な忘却の中に置かれています。ホットスポットでの埃の吸入、放射性物質が含まれる食べ物や飲み物の摂取、これらが東日本に暮らす私たちの現実であることには変わりないのにです。

被害を語る人々にはこれまでも「放射脳」「似非科学」なる悪罵が投げつけられてきました。避難の権利を求める人々にも政府機関をはじめとして冷笑的な態度が投げつけられてきました。おそらくこれからも、その状況は大きく変わることなどないでしょう。その一方で冷徹に進められているのは、いまだ実証データに乏しい「低線量被ばく」「内部被ばく」のデータ収集です。あたかも未曽有の人体実験の被験者として、私たちは位置づけられています。

私たちは私たち自身を、この災害と人体実験からどのように守るのかを考えなければなりません。誰も守ってくれることなどない。だれも私たちを守りなどしないのですから。

原子力災害の中への遺棄される貧困者は、どのように自分となかまを守ればよいのか。考えてみたいと思っています。