自由と生存のメーデー08 メーデーアピール

メーデーをたくらみ闘う仲間のみなさんに挨拶を送ります。

人間相互の豊かな関わり合いの中で実現されるべき生存は、いまや個人の孤立した営為へと切り縮められています。自らの力を、市場で売り買い可能なものへと変形し、その価格を引き上げることが生存の条件とされているのです。

その結果、女性と若者の半数が非正規雇用に置かれ、一千万人が年収二百万円以下で生活する一方で、日々、雇用される能力を測られて働く正社員が次々と過労死、過労自殺へと追い込まれています。あたかもただ生きることが罪であるかのように、野宿者は街から排除され、応益負担の名のもとに貧困な高齢者、障がい者からの収奪が続いています。また移民を犯罪視する日本政府は、日本国籍をもたない者の就労を非合法化し、右翼排外主義者の扇動を容認するとともに、研修生制度によって大陸アジアからの移住労働者に奴隷労働を強いています。その一方で経営者利得と株主への配当は激増し、富裕層が形成されることで、あらゆるものが私的所有にさらされ、金も社会的、文化的な資本も持たないものは、これまで利用してきた公共の空間や資源からも排除されて危機を生きなければならなくなっています。

仲間のみなさん。新自由主義者は人々に経営者マインドの内面化を促し、人間の生そのものを収奪することでこの危機を隠ぺいしようとしています。しかし、彼らのもくろみはかならずや破綻するでしょう。プレカリアートの増殖は、自由と生存を引き換えにする動きに、決して同意しない人々の増殖と連結を促してもいるからです。生きることを、際限のない競争の果てに与えられる不安定な褒賞にてよいはずはありません。私たちがこの世に生を受けたのは、何も身を粉にして働き続けるためではありません。生きることはただ働くことではなく、人と出会い、騒ぎ、楽しみ、別れることのすべてです。

東京で私たちは「自由と生存のメーデー」を呼び掛けています。自由と生存を引き換えにするのではなく、自由も生存も求めるためです。私たちが時に労働者、時に消費者として、あるいは排除される者として接してきた街を、互いが豊かにかかわり生きる場所へと取り戻すために、「よこせ」という正当な声を各地からあげていきましょう。

自立への孤立ではなく、連帯の中に自律を求めて。


2008年4月
自由と生存のメーデー08実行委員会