反撃の「暴力」を肯定する

〈一〉

 先日、当ログで連日続いてきた釜ヶ崎暴動に言及した。すると次のようなコメントが寄せられた。

どんな理由や理想があっても、暴力に頼れば社会から「悪」と看做される。


 それならばあえていう。我々は時に「悪」の烙印を引き受けなければならない。
 それならばあえて問う。「暴力」とは何であるのか。
 そもそも、警察による私刑の執行への反撃を「暴力」として審判することは、力のありようを「暴力」と「非暴力」とに、つまり二元のものとして切断することにほかならない。では、「暴力」から切り離された「非暴力」とはいったい何であるのか。単に、力を行使しないことが「非暴力」なのか。違う。「非暴力」もまた「暴力」同様、ある力の行使にほかならない。力とは「暴力」であり「非暴力」である。それは人が立つ位置によって変位するものである。西成署からすれば、暴動は即ち「暴力」であるだろう。しかし暴動主体にしてみれば、「暴力」も「非暴力」もない。自分たちを虚仮にし蹂躙してきた警察の「暴力」に対する抵抗、ないし反撃という意味しかない。力が示顕するそのはじめにおいて、力は力でしかなく、つまりやはり「暴力=非暴力」である。それが「暴のみ」であるか否かは、それぞれの立場にとっての事後に付与される意味でしかないのである。
 人間を差別しながらドツキ回しておいて居直る大阪府警・西成署が反撃の暴動を「暴力」とするなら、我々はこの「暴力」を肯定する。

 寄せ場悪所場といった底辺に呻吟する人々は、歴史的に見えないものとされてきた。あるいは多くの人間が、暴動のような事態にいたってはじめてその存在を「発見」したかのようなふりを繰り返してきた。しかもその物見高い一時的な視線は、差別と偏見にまみれている。
 日雇い労働者、あるいは生活保護の受給者が、底辺の人間を侮蔑・嘲笑してやまない警官にリンチされても、そのことは問わずにすます。そうして私刑執行に対する抗議行動からはじまった暴動を真っ先にあげつらう。曰く、「暴力はいけない」「暴力の応酬では解決にならない」えとせとら、えとせとら。これを差別の上塗りといわずに何というのか。
 西成署の警官による最初のリンチと、抗議行動を鎮圧するために組織された圧倒的な「暴力」と。警察とは、その時々の体制を護持するための組織された「暴力」装置にほかならない。今次の釜ヶ崎の労働者たちの反撃が暴露したように、警察は日雇い・生保受給者の言い分はまったく聞かずに凄惨なリンチをくわえるばかりで、つまりは中立ではありえないものとしてその本体をむき出しにした。
 不平等に生まれつき、流転のはてに寄せ場にたどりついた人間を社会から隔絶する「暴力」があり、そうして寄せ場を囲うようにして見えない線を引き、人間と人間を分断し固定化する「暴力」がある。あるいそれらの「暴力」は野宿労働者を狩り込み、追い立て、襲撃する「暴力」でもある。そしてこの「暴力」には、二つの担い手がある。治安維持装置としての警察と、自らの一時の「安全・安心」のためにかかる「暴力」を受容する諸個人である。
 なるほど、いまは相対的に「安全・安心」な領域にいる者にとっては、底辺の困苦など他人事にすぎないし、暴動も遠くの出来事であるだろう。いや、暴動については、マスコミのおざなりな報道の内側にあって「税金を無駄遣いさせる憎むべき悪の所業」とさえ感得する。だからこそ、反撃を反撃として見留めることができない代わりに、順序を転倒させてただただ暴動ありきとして糾弾することができるのである。
 我々はここで改めて言明しなければならない。人間として差別を拒否するために、我々は時として反撃の「暴力」を肯定しなければならないのだと。即ち、差別を当然とする社会には、差別に反撃する「悪」を強制しなければならない。これは人間としての我々の任務である。無前提に反撃の「暴力」を肯定せよというのではない。そのありようと結果については評価の自由があってしかるべきだ。しかしそれも主体的な捉え返しにおいての自由である。この自由とはまた、「暴力」=「力」を無前提に否定してもならないといって憚らない、制限された自由である。
 さらにいえば、反撃あるいは自衛の「暴力」を肯定するにあたっては、まず最初に次のように確認しておかなければならない。「暴力」が「悪」であるなら、暴動は警察がやらかした「悪」に対する「悪」である。対抗の「暴力」は初発の「暴力=悪」に対峙し自衛する「悪」であり、いわば〈反‐暴力〉と反転しうるのであると。だが、やはりそれを「暴力ではない」といい繕うべきではない。力の行使には違いないからである。

〈二〉

 我々は合同労組の組合員として、反撃の「暴力」を肯定する。
 労働組合は時として、労働者をモノ扱いしてやまない破廉恥な経営に対峙せざるをえないことがある。経営者に責任あるオトシマエをつけさせるために、時に事業所を包囲して抗議行動を展開するだけでなく、直接乗り込んで経営者を追及することがある。まともに賃金も支払わず、あるいは一方的に解雇して開き直るような非道な経営者に対しては、あくまで勝利するまで闘おうとする。反撃としての多様な戦術・行動は、ときに粗暴なものとして看取されるだろう。だが、この反撃の「暴力」は、決して徒に追及されるものではなく、経営者の非道があってこそ発動される反動としての力の行使だという以外にない。それは現代における嗷訴(力づくの訴求)なのだ。
 経営者とは経営権を掌握するものである。経営者はその状況の力によって労働者を圧倒する。雇用されることではじめて活計を手にする労働者にとって、経営者は生殺与奪の権を握る怪物にほかならない。だからこそ集団の合力によって怪物を人間として引きずり出し、経営権の参与を要求しようとする、つまり産業の民主化を追求する労働者集団が歴史の舞台に登場してきたのである。この集団は幾多の争議戦術を携えた労働組合となることで、経営が強制する構造的「暴力」に対抗しうる集合的な潜勢力を把持することとなった。そして大戦後、新憲法の確立を通じて労働三権(労働基本権)を国家に強制することによって、労働者ははじめて自らの〈反‐暴力〉たる潜勢力に合法性を獲得した。それも労組法上の労働組合に依拠することを通じてである。
 これは、治安警察法労働組合の存在そのものを実質的に非合法化していた大戦前の軛(くびき)からの解放を意味している。同法第16条は労働者の争議行為を一方的に禁じていたが、新憲法による団体行動権の保障と、その法制化としての労組法の制定によって、組織労働者は刑事・民事にわたる争議行為の免責を手にしたのである。これは力の鬩(せめ)ぎあいによる一方の力の合法化にほかならない。それまでは違法な実力行使として弾圧されていたものが、正当な団体行動権の範疇のものとしてひっくり返ったというわけだ。つまり、労働組合とは法理上は合法的「暴力」集団ともいいうるのである。
 とはいえ、歴史を顧みれば、敗戦直後、飢餓線上にあった我々労働者の先達が、法整備を待たずに怒濤の攻勢によって資本に「生きるから分け前をよこせ」と要求を突きつけ、幾多の勝利を手にしてきたことを忘れてはならない。労働法や労働委員会制度は、労働組合に拠った労働者の必至の運動によって成立したともいえるのだ。その間、労働者はその集合的な運動を文字通り実力をもって展開したのであるが、その力は刑法・民法と対峙する別個の法権力を生み出した。まさに「暴力」の制度化である。合法であることが「悪くない」なら、「暴力」も条件によっては「悪くない」ということになる。
 閑話休題。法制度の転変一つをとってみても、かように力の評価とは相対的なものにすぎず、何らの倫理的基盤を持っていないことが明らかである。逆にいえば、他者を問いつめようとする倫理なるものは、常に動揺するものとしてあるのである。

〈三〉

 寄せ場暴動がいつも決定的な勝利を得ることなく終熄するのは、いうまでもなく、自律的な力の行使だけを異化しようとする蔑視に取り巻かれているばかりでなく、圧倒的な警察力に阻まれるからだ。警察が合法的に武装しつつ仕事として立ちはだかるのに対して、持たざる者はロハ(只)で起たざるをえない。いや、体力のことなども含めいつも持ち出しだ。彼我の違いという客観的な条件からして、「敗北」の反復が予定されているのは必然である。
 しかしこの連綿と続く「敗北」は無意味ではない。人間を侮蔑し差別してやまない社会に対して、その罪業を明るみに引きずり出す力はやはり衝迫的だからだ。人を踏みつけにしたまま知らぬふりをする「悪」を暴くことで、人間として生きようとする仲間たちは「敗北」を引き継ぎながらやがて決定的な地平に立つだろう。「敗北」者が累乗しつつある現在、我々はわずかにその展望を見いだしつつある。
 いま、見えない存在とされてきた日雇い労働者の仲間たちは、この差別的な社会全体に拡散している。資本主義のありようの変化とともに、寄せ場に寄り来ってきた日雇い労働者が都市を流動する野宿労働者となり、どこででも存在せざるをえなくなっている。旧来の日雇い労働者が散っただけではない。「市場原理主義」を容認するこの社会は、一握りの人間をますます富ませるために、新たな日雇いを生み出し続けている。新たな日雇い労働者はまた新たな宿無しでもある。苛烈な競争に心身を冒される「正社員」をまきこみ、次々と死んでいく「自殺者」とともに、労働の序列を媒介とする被差別者の存在は〈どこにでも‐いる〉圧倒的な存在として、もはや隠しようがない。
 そうだ。労働現場で、あるいは溢れて、あるいは働くことができなくて呻吟する我々は、どこにでもいる。現時的には「敗北」を重ねようとも、死なずに生きている以上、どこにでもいるのである。方々にいることそのものが、潜在的な大きな力である。いまはまだ「正規」と「非正規」が、「年長者」と「若者」が、「男性」と「女性」と「そのどれでもない」あるいは「○性」が、「健常者」と「障碍者」が、重層的に対立させられている。しかし一年前、当時六四歳の仲間が大阪拘置所からプロレタリアートの最敬礼をもって若い労働者に呼びかけたように、分断の意図を読み解き、それをはねのけて、〈我/我々〉が〈我‐我々〉として〈どこにでも‐共に‐いる〉存在として起ち直すとき、我々は多様者の連帯の力をもって、社会にその差別性の克服を迫る新たな闘いを開始することになるだろう。
 プレカリアートの最敬礼をもって、暴動に蹶起して獄中にある人々に挨拶を送る。「生きて奴らにやり返せ!」

(N)

※アピール中の主語は「我々」ですが、文責は組合員Nにあります。


【追記】
2008/6/21 00:16 に、別記事の方に補足として「反撃の「暴力」の肯定は殺人の容認ではない」を追加してます。