10月21日(日)一橋東キャンパス

労働問題を解決するには社前行動など街頭で人々が話し、意思を伝え、行動する自由が必要です。お金があれば広告を出したり、出版物を作ったりなどができるでしょうが、私たちのように金がない人々の場合、不当な目にあった場合に街なかで声をあげられる自由があることはとても重要です。

争議現場でも、たびたび警察から「街宣許可を取っているのか」などとの問いかけがなされます。ほんとうは公道での街宣活動は、道を封鎖してしまうのでない限り自由に行えるし、警察もそのことを十分に知っているのですが(東京高裁「有楽町判決」)、こちらが知らないと見ればこのように規制をかけてきます。

街頭行動の自由を、私たちはどのように確保すべきなのか。
それが向き合っている危機はどのあたりにあるのか、その辺を考えてみようと言う企画です。ぜひ参加を!

討論集会「街頭行動の自由を考える

日 時:2011年10月21日(日)15:00開場 15:30〜19:30
場 所:一橋大学東キャンパス東2号館2201教室 資料代:500円
連絡先:一橋大学鵜飼研究室  042-580-9034 gaitoukoudounojiyu@yahoo.co.jp
主 催:討論集会「街頭行動の自由を考える」実行委員会/震災・原発事故を考
える会@一橋大学
web:http://state-compensation.freeter-union.org/
※排外主義者と警察への協力者の参加・立ち入りを禁止します。

【罵倒の不自由ではなく、語り合い行動する自由を!】
▼私たちは「不自由」が充満した社会に生きている。飯も、着るものも寝るとこ
ろも、働き遊ぶことも、むつみ合う歓びも、街頭で訴えることも、何ひとつ思う
ようにならない。できるのは、ネット空間で人を罵り倒すことくらい。名を隠し
て貧弱な雑言を競い合い、ささくれた熱狂を使い果たしては浅く眠る。これは果
たして「自由」なのか? いや「監獄」である。原発震災はこの「監獄」のよう
な不自由を剥き出しにした。だから、自己規制の壁を打ち破って人々は車道に溢
れ出す。経産省前のテントに暮らし、官邸城の裏から叫ぶ。
▼官邸前で起きたことは「自制された蜂起」なのか、それともコントロールされ
たその紛いものなのか。そのどちらへ向かう可能性もある、と言おう。「不自
由」を生むもう一つの源は、あの「白地に赤い丸」の旗である。原発からの自由
を求める賑やかなデモの傍らには、あの旗の中毒者たちに襲撃されるデモがいつ
もあることを忘れるわけにはいかない。にこやかな警察官たちの腕づくの「誘
導」と、旗に憑かれた者たちの突撃が重なり合うところにこそ「不自由」の全体
像があるだろう。
▼それでも、命が危険にさらされる時、人々の中から自然な「法」が立ち上が
る。原発震災から600日、それぞれの場所から「街頭行動の自由」を語り合おう。

第1部)パネルディスカッション:「この不自由の中から、何を実践するのか」
太田昌国(編集者)+木下ちがや工学院大学非常勤講師)+桜井大子(反天皇
制運動連絡会)
第2部)映像サンプリング上映:「街頭の自由と不自由」イラク反戦から反原発まで
第3部)フリートーク