廃棄されるべきは派遣法か人々か

「改正派遣法案」が衆議院を通過した。
まだ参議院の審議が残っているのでこの機に是非とも潰さなければならない。

■「派遣」自体が認めがたい
「派遣」は企業が人を雇う際に負うべき責任を免れさせ、中間搾取を合法化する制度である。「派遣先企業」は人を「直接雇用」しない。あるのは「派遣元企業」との間の契約だけだ。この「間接雇用」制度のせいで、「派遣」で雇われる人は職場で生じるさ問題を職場で解決することが難しい。しかし企業は違う。「派遣先」は負担なく人を使いたいときだけ使い、「派遣元」は人だしでマージンを稼げるからだ。政府は人々が「多様な働き方への希望」を持っているなどという。だがそれは長時間、低賃金、ハラスメント的、従属的、無意味、を基調とする労働の性質を変えること、あるいは労働からの解放への希望だ。直接雇用より間接雇用を望む人などいない。「派遣」は雇われる側には何のメリットもない。

■自動首切りは誰も望まない
それでも「現行の派遣法」には派遣労働の受け入れ制限がある。あくまでこの「間接雇用」は一時的なもので、「派遣先企業」は同じ職場で3年を超える場合は「直接雇用」を申し込まなければならない。ところが今回衆議院を通過した「派遣法改正案」は「派遣先企業」のこの義務をなくす。「派遣先企業」は3年ごとに派遣労働者の首を切れば、ずっと派遣を使えるのである。昇給もなし、社会保険負担もなしの「人材」を、使っては捨て、使っては捨て、と繰り返すことができる。

■直接雇用を消滅させる
「間接雇用」を常態として、「直接雇用」を例外にするのが今回の「改正案」だ。これは企業にとっておいしいことばかりなのだから、「改正派遣法」が成立すればこの制度が拡大しないわけがない。いまは「直接雇用」となっている仕事も、いずれ「派遣」に置き換えられることになる。そうなれば、これまで雇用を軸としつつも、主に女性労働にただ乗りしてきた再生産活動はさらに女性労働への収奪を強めることになる。すなわち「改正派遣法案」は、人々の再生産に企業がいっさいの責任を持たないことを政府が保障するものなのだ。こうして多くの人々が使い捨ての人材扱いとなるだろう。

■廃棄に抗して「改正派遣法」を廃案にしよう
安倍政府は経済成長をもたらすと宣言し、この間、物価と株価の引き上げに腐心してきた。その結果、金融資産を持つ一部の富裕層は巨額の富を蓄積し続けるサイクルを手にした。彼らはもはやこの社会での大衆消費を経済成長の計算に入れていない。消費層としても期待できない貧困層は、せいぜい治安を乱さず廃棄されてくれと言うわけだ。だが私たちとて簡単に廃棄されるわけにはいかない。間接雇用を常態化する「派遣法改悪案」、そして未払いを合法化する「労基法改悪案」をこそ廃棄しなければならない。廃棄されるのは「派遣法」か、それとも人か。ここが問われている。

救援の成果は人々のものである

経産省前で抗議活動を展開していたために5月28日に警察に拉致・監禁されていた3名が6月8日に解放された。なによりもこのことを喜びたい。解放は、監禁という絶対的に不利な状況で冤罪を跳ね除けた3名、全員を救出するために尽力した救援会、そして彼らの一日も早い救出のために動いた人々の成果だ。

第一の成果は、もちろん彼らを救い出したことにある。ほんとうによかった。拉致・監禁によって彼らに身体的、心理的、社会的、経済的に刻まれた傷が、これ以上ひどくなることを防げた事実はとても重要なことだ。これからゆっくりと時間を使って、3名にはできる限り傷を癒してほしい。そのために必要な支援があるだろう。

だが救援の成果はそれだけにとどまらない。3名は一方的に救われる対象ではなかったからだ。彼らは自らが救われることを通じて、私たちの社会に大きな成果をもたらした。そのことを私たちは大事にしなければならないと思う。

彼らを拉致・監禁した理由として警察が主張したのは経産省敷地への「建造物侵入」であった。経産省の門の外側は経産省の敷地であり、経産省に抗議するためにその場に立ち入る者は「侵入犯」であるとしたのである。むちゃくちゃな理屈である。これがまかり通るのであれば、市民運動労働組合運動などの社会運動が展開してきた行政官庁への抗議活動は不可能になることは明白だった。実際、大阪では「Xバンドレーダー」への抗議活動にバスを手配した人を「道路運送法違反」で逮捕するという弾圧も行われている。

富裕層はそれでもかまわないだろう。支援する議員を通じて行政機関に影響力を行使し、広告代理店を用いたキャンペーンで公論の議題を左右することも可能だ。わざわざ自身の身体をそのために運ぶまでもない。だが貧困者はどうか。自身と社会にとって死活的問題について、辺野古新基地建設、原子力公害、安保法制、派遣法改悪、などなどの問題について、行政機関の姿勢を告発し問題化するために私たちには何が使えるだろうか。自身の身体と声と言葉と知恵と時間をそこに費やすことで、訴え、理解を求め、抗議し、公論を喚起するしかないではないか。

改めて問わなければならない。これまで経産省の門に近づいた者すべてが「建造物侵入」の警告を受けてきたのか。門の前のスペースに立ち寄った観光客は警備員に追い払われたのか。抗議の意思を持って門の前に現れた者だけが、それしか手段を持たない者だけが追い払われ、警察によって拉致・監禁されたのではないか。

今回の弾圧に経産省・警察・検察が意図したのは行政機構への「抗議の犯罪化」である。とりわけその手段を持たない者に対する犯罪化だ。しかし監禁を容認した裁判長ですら、勾留理由開示公判での弁護士の質問に何ひとつまともに答えることができなかった。彼らの意図は挫かれた。拉致される前から始まり、監禁の最中にも引き続いて取り組まれた、3名の持続的抗議がその意図を挫いたのである。

両手首の皮に食い込む手錠、一日中引きずり回すためだけにつけられる腰縄、寄りかかることももたれることもできない直角の椅子。そして検事の仕事を待つためだけに半日にわたって無為に待機させられる地検同行室の時間。12日間にわたって繰り返されるこれらの虐待の上に、公安刑事・検事の甘言と讒謗が繰り返される。「お前の責任だぞ」「仲間に申し訳ないと思わないのか」「彼に言われたんだろう」「巻き込まれただけだよな」「誰もお前たちのことなんか聞いてないぞ」「他にやり方があるだろう」「もっと賢く振舞えよ」

自らを陥れようとする圧倒的な悪意に直面すれば、誰であろうと疑心暗鬼を生じるものだろう。だからそれを越えて3名が、彼らを救い出そうと尽力する救援会が、そして彼らを取り戻そうとする人々が、互いにつながることに希望を見出せたことはもはや幸運としか言いようがない。誰もが最初から仲間であるわけではない。希望への隘路を通じて仲間となるのだ。

再び3名と救援会、そして「拉致・監禁」に怒りを感じた人々の運動がこの社会にもたらした恩恵を確認しよう。行政機構への抗議を犯罪化しようとしたもくろみは、東京でみごとに跳ね返された。検察が彼らへの起訴を断念するまで、また、再び行政機関が「抗議の犯罪化」に乗り出すことの無いように、運動を続けよう。(y)

声明(5.28経産省前弾圧について)

★抗議活動の犯罪化を許すな
★5.28経産省前弾圧救援会(https://528kyuen.wordpress.com/)への支援を

5月28日、経済産業省前で抗議活動を行っていた3人が逮捕された。3人にかけられた容疑は「建造物侵入」だという。しかしこの容疑そのものがおかし い。救援会のブログによれば、3人の抗議活動は「経済産業省本館の門扉外側のスペース」で行われていた。「建造物侵入」という用語が想起させる建物への立ち入りがあったわけではない。

ではなぜ警察力が行使され、3人は逮捕されたのか。ここに最大の注意を払う必要がある。今回行われたのは「建造物侵入」への取り締まりではなく、行政機関に抗議することそのものの取り締まりであるということだ。

これは重大な事態だ。

いまや立法府は形骸化の一途をたどり、意味のある政治的決定はあらゆる段階で行政機構が担うものとなった。そして、この行政機構に属する人々を私たちは選出することもできなければ、具体的な意思決定に関わることもできない。その中で人々に残された手段のひとつが行政当局者への抗議活動であった。そのためこれまでも幾多の市民団体、労働団体が関連省庁前での抗議活動を展開している。ところが今回その抗議活動が「建造物侵入」を利用して禁圧されたのである。

現行制度では、たとえ検察が起訴できないような微罪の者、あるいは無実の者であっても、最大23日間にわたって「被疑者」を拘束することができる。人の自由を奪う身体刑罰をほぼ行政機関の判断だけで先取りして強制できる。3人にはすでに10日間の勾留がつけられたと言う。

かつて私たちの組合も同様の事態に直面した。麻生太郎首相の自宅を見に行く 「麻生邸リアリティツアー」で3名の参加者が逮捕され、組合事務所が不当な 家宅捜索を受けたのだ。現在、組合は原告の一人として国賠訴訟を闘っている が、不当逮捕をした警視庁渋谷警察署の宇井警部(当時)は一審で、「首相に 批判的なことを言っていたから」と逮捕を正当化している。政権や行政機構への批判的な意思の拡大を未然に防ごうとする意思は、今回の事件もかつてと同様のものである。

行政機構への抗議活動に過酷な懲罰がかけられていることに私たちは深い怒りと憤りを感じる。不当に逮捕された3人は、いま分散留置され、孤立に耐えながら自身にかけられた冤罪と闘っている。それだけではない。3人は人々が行政機構に抗議し活動する自由を守るために人々との連帯を願って闘っている。3人に支援を! 一日もはやく取り戻そう!

2015年6月3日
フリーター全般労働組合

弾圧事件の詳細、具体的な支援方法などについては、「5.28経産省前弾圧救援会」のブログをご覧ください。
https://528kyuen.wordpress.com/

なぜ反富裕か 自由と生存のメーデー 5月2日 1300原宿駅

さて、もう明後日なのですが、今年の「自由と生存のメーデー」の内容について、実行委員会での討議を少し説明します。

 メーデーのサブタイトルは「反富裕―LifeisaScandal」です。なぜこのタイトルなのか。それは私たちがこの社会を生きるには、「反富裕」という視点を手に、自身の生が「Scandal」であることを認める方がいいと考えたからです。

 この社会では、あらゆる場面・場所を金もうけの対象とする「自由」が強められています。自然や公共物、人間関係や人の身体・精神・感情のあり方と働きに至るまで、その領域と強度の拡大はとどまるところを知りません。見る間に駅や公園が企業活動の場になり、人の存在とその「はたらき」が、どれだけ金になるかで評価されるようになっているのはその結果です。現政権は労働者派遣法や労基法の改悪に進んでいますが、「自由な働き方」は企業の雇用責任からの解放を、「成果に応じた賃金」は賃金を生活上の必要や拘束時間から切り離して低額使い放題を可能にすることを意味しています。

 その結果、この社会では貧富の格差が拡大し、富はますます富裕層に集中し、生の困難はますます貧困層に集中するようになっています。今でもわずか0.1%の世帯に73兆円の株や預貯金が集まり、それはますます拡大しています。一方私たちと仲間と言えば、土地はおろか3か月をすごす貯蓄すらなく、ハラスメントと未払い、過労といじめに満ち満ちた労働現場と関わりを持ちながら生きるほかはありません。なぜなら避難先であるはずの生活保護は、バッシングと切り下げのさなかに置かれているからです。

 ではどうすればいいのか。これまでの社会は、誰もが「自身の努力と責任」で豊かになれると約束してきました。いまもその約束は有効でしょうか。残念ながら無効であることは明白です。周りを見渡してみればいい。数年先まで安定して保障される仕事はどこにもない。調子が悪くても市販薬でごまかして病をやり過ごさなければならない。滞納続きで携帯が止まったり家を追い出されたりを心配し続けなければいけない。路上に出れば地域住民や警察の襲撃を気にしなければ生きていけない。こんな状況でしょう。このような扱いを受けるのは、決して私たちの努力が足りないからではない。まして私たちが無責任だからではない。私たちはすでに、経済的な価値を生み出すために必須の「生産者」や「消費者」として扱われていない。その期待すらされない私たちは労働社会へと廃棄されているわけです。

 しかも、いままた輸出企業を守るために物価は上がり、金持ちの資産を守るために消費税は増税されようとしています。福祉国家は所得への累進的な課税制度と教育や社会保障への歳出の増加を通じて所得を再分配することで人々の生の権利を保障しようとしてきました。だがついにこれは逆転し、貧乏人から富裕層への分配が強化されているとみるべきです。そもそも「金もうけの自由」は、すべての人に開かれた自由ではありません。その自由を謳歌するには、元手となる土地やお金、教育水準や有力なコネなど、私たちが手にすることのできない資源に恵まれなければなりません。「金もうけの自由」はすべての人に開かれる権利としての自由ではなく、これら資本・資産を潤沢に有する人々、富裕層にとっての特権的な自由です。

 だから私たちは「反富裕」の立場に立たなければなりません。まずは富裕幻想を断ち切ること、次に貧乏人から富裕層への再分配を止めて、富裕層から貧乏人への再分配を求めることが必要です。

 必要だ。だからよこせ。このことをメーデーでは訴えていきます。

to Tomas Piketty

みなさんこんにちは
自由と生存のメーデー実行委員会です。
私たちは今年5月2日にメーデーデモと集会を準備しております。

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MAYDAY for Freedom and Lives 2015
自由と生存のメーデー2015 -- 反富裕 Life is a Scandal --

2015年5月2日(土)
 〇デモ 13時 東京・原宿
 〇集会 18時 千駄ヶ谷区民会館 集会室1 
         「ピケティっておいしいの?(仮)」
 〇問題提起
堅田香緒里さん(法政大学教員 共著「ベーシックインカムジェンダー―生きづらさからの解放に向けて」 現代書館
・橋口昌治さん(ユニオンぼちぼち/非常勤講師 単著『若者の労 働運動』生活書院)
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さて、私たちはこのデモと集会に、「21世紀の資本」で話題となっているトマ・ピケティさんを招請しようと考え、以下のような「招待状」を起草しました。
ところが聞くところによると、ピケティさんは英文や仏文は理解するものの、日本文については理解できないようです。
そこでみなさんにお願いがあります。twitter で流せるよう19のパートに分割した以下の招待状を、英文もしくは仏文に翻訳していただけないでしょうか。
パケットとして流されれば彼本人が読むこともあるかもしれません。翻訳できる方につながるように、さらに翻訳が彼に伝わるように拡散いただければと思います。
虫のいいお願いですが、よろしくお願いします!

(to Thomas #Piketty 1)
招待状

トマ・ピケティ様

わたしは、ういすちわおと申します。普段ケアワーカーの仕事をしながらフリーター全般労働組合の組合員をしています。

(to Thomas #Piketty 2)
わたしたち「自由と生存のメーデー 実行委員会」は、2015年5月2日に東京でデモ&集会を予定しています。

(to Thomas #Piketty 3)
集会では貴方の著作をどう論じるのかを中心に議論します。まずは、わたしの手紙を読んでいただき、その後、デモ&集会への参加を、ご検討して頂きたいと思います。

(to Thomas #Piketty 4)
貴方の著作「LE CAPITAL」は、資本という概念を、富、財産等にも置き換え可能な広い意味でとらえます。

(to Thomas #Piketty 5)
つまり、資本の分配(=富の分配)の問題は、社会全体のメカニズムから論じられなければならないということです。

(to Thomas #Piketty 6)
貴方は南アフリカ、マリカナの鉱山労働者がストライキ中、警察の発砲によって 34名が死亡したという事実を伝えています。

(to Thomas #Piketty 7)
この事件について考えるとき、わたしはウォーラーステインの「史的システムと しての資本主義」(Historical Capitalism)を想起します。

(to Thomas #Piketty 8)
彼は「半労働者」という概念を用い、性差別や人種差別の意識は不平等を正当化する万能のイデオロギーとして作用しており、それはまた、諸集団を社会化し、『〔世界〕経済』のなかに位置づける役割も果たしてきた、と述べています。

(to Thomas #Piketty 9)
マリカナの労働者の極端な低所得は、歴史的メカニズムに組み込まれた差別によって「正当化」されます。

(to Thomas #Piketty 10)
わたしは資本のメカニズムは、あらかじめ描かれた設計図の上に構築されたのではないと考えます。
(to Thomas #Piketty 11)
相互に連動したさまざまな現場の闘争の結果、力関係の総和として巨大メカニズムは構築されているのではないでしょうか。

(to Thomas #Piketty 12)
故にわたしは、労働、学 校、地域 等の様々な領域での政治経済的闘争、文化的闘争が不可欠であると考えています。

(to Thomas #Piketty 13)
21世紀は資本に包摂されない関係性、新たなメカニズムの形成を「闘争」によって構築する時代になり得ないのか? ということです。

(to Thomas #Piketty 14)
トマ・ピケティ様、いかがでしょうか?もし、お心が動いたら、ぜひ、お返事、メッセージを寄せてください。

(to Thomas #Piketty 15)
「自由と生存のメーデー2015 --反富裕 Life is a Scandal—集会『ピケティっておいしいの?(仮)』への貴方の参加を心からお待ちしています。

(to Thomas #Piketty 16)
デモは13時から、集会は17時から開始です。尚、お返事は以下の連絡先にお願い致します。

(to Thomas #Piketty 17)
(連絡先)
住所:〒151-0053 渋谷区代々木4-29-4西新宿ミノシマビル2F フリーター全般労働組合気付「自由と生存のメーデー実行委員会」ういすちわお宛
(わたしの名前は仏語でOui Bonjourです)

(to Thomas #Piketty 18)
Email: union@freeter-union.org
ファックス:+81-3-3373-0184
電話:+81-3-3373-0180

(to Thomas #Piketty 19)
(デモ・集会の予定)
MAYDAY for Freedom and Lives 2015
自由と生存のメーデー2015 -- 反富裕 Life is a Scandal --
2015年5月2日(土)
〇デモ 13:00 東京・原宿
〇集会 18:00 千駄ヶ谷区民会館 集会室1 「ピケティっておいしいの? (仮)」

PS. 浅草一文本店で「ねぎま鍋」を食べましょう!

自由と生存のメーデー 問題提起者決定!

すでにお知らせしたように、5月2日17時半開場(千駄ヶ谷区民会館)で「自由と生存のメーデー2015 --反富裕 Life is a Scandal」の集会「ピケティっておいしいの?(仮)」を開催します。
問題提起者の方は交渉中でしたが、おふたりに快諾いただきました。
まず、日本におけるベーシックインカム運動の開拓者のひとりである堅田香緒里さん(法政大学教員 共著「ベーシックインカムジェンダー―生きづらさからの解放に向けて」 現代書館
そして若年非正規労働運動を担ってきた橋口昌治さん(ユニオンぼちぼち/非常勤講師 単著『若者の労働運動』生活書院)。

良い議論ができそうです。