「東北地方太平洋沖地震緊急支援市民会議・第5次トラック隊」報告その2

前回の続きです
////////////////////////
東北地方太平洋沖地震緊急支援市民会議・第5次トラック隊」報告その2(4月23日、夜の「山越え」記)

報告その2、4月23日夜の<山越え>記

僕らは、凹凸、起伏激しく、降りたと思えば、又登りの続く、その繰り返しの山道、見下ろしても街の灯など認められない、山又山の真っ暗な泥道、路端はそのまま崩れ去っている山道をロシナンテとともに、2時間余、「行軍」しました。雨も降って来ます。

62号線、これは「県道」とはとても思われないような全く舗装やガードレールなどお呼びでない山道なのです。ライトのみが頼りです。その間、ガイガーカウンター鳴りっ放しです。
それにして、このような中国山水画のような世界、もう少し優雅に言えば、深山の竹林で琴を弾ずるような世界、その山中を放射能が覆っている事態、この組み合わせ、構図とは何だろうか、と僕らは首をかしげたわけです。僕は、これは、現代への強烈な皮肉、辛らつな風刺と捉えました。


 
放射能という「悪霊」が、深山の生あるものすべてを、音も立てず、静かに静かに、しかも強烈に腐食して行っているわけです。
 
とあるところで、ここだけに芝生が植えられ、十数本の桜の樹と思しき樹木が植えられている空間に出くわし、僕らはそこで休憩を取りました。梅なのか、と思われましたがやはり、7分咲きの桜の樹でした。
 
頭をしっかりと覆い、厚めのマスクを付け、懐中電灯を持ち出し、外にでて計測器でしっかりと確認したところ、確実に3300CPMで、地表にそれを下ろしてゆくと3500CPM以上でした。

気のせいか頭ががんがんする、感じでした。それにしても、<深山幽谷>の桜の花の下で、3本の懐中電灯の下、計測器に見入る3人の人々、と言う美的構図とは、実に鬼気怪々なるかな、と僕ら3人は共通の想いに駆られたのでした。

 
サブロウさんが、たんぽぽ舎の研究会で学んだ認識で、事態を説明しました。放射能は、遮るものが無ければ、どんどん風に乗って拡散してゆくが、山やそこでの樹木に遮られれば、それに引っかかり、滞留してしまい、それが山間部の盆地状の地形の所に沈み、充満してゆくこと。だから、やや高い山間部の地形の方が計測値は高くなる傾向があること。
 
実際、帰途の際、山間部を登り、東北道に出た際の道行きにおいて、このような現象を僕らははっきりと体験しました。このような事態として20キロ圏の外の飯館村葛尾村浪江町などが、福島第一原発の直近隣の双葉町大熊町富岡町楢葉町並みの放射能を引っ被ってしまっている、ということ。
 
政府はこの事態を知っているが故に、これらの地域を、「計画的避難地域」、「緊急避難準備地域」として「検討中」と発表したわけです。しかし、この道理を、暗示はしましたが、はっきりと説明することを避けて来ていましたから、地域の住民でも、しっかりと、この事態を掴めていず、ました全国の一般民衆は、何で飯館村などが新聞種になり、騒がれるのか、理解できかねる情況と言えます。
 
僕らの実感からすれば、この三、村、町のおかれている情況は大変厳しいもので、そこで育成されている野菜、あるいは米は汚染され、生業を営むことが出来ず、廃村、廃町となるであろう、という感じです。
 
そうなれば、当然にも、この62号線は無用の長物となり、閉鎖、廃道となる、したがって若しかすれば、放射能まみれの62号線を利用する人は、今後、居なくなることからして、僕ら3人は最後の利用者となるのでは、と意見一致しました。
 
2時間近く、<行軍>すれば、南相馬市、原町が近くなり、62号線は道幅も広がり、アスファルト道に変貌し、ガードレールも整備されてきました。
 
僕らは、予約しておいたビジネスホテル、「高見」にチェックインし、温泉に浸かり、思う存分、放射能を洗い落としたわけですが、そこは、南相馬でも、やや北側で、20〜30CPMでした。

東京並みという数値です。
※追記
翌日、24日の南相馬市市長、桜井勝延氏との会見、その時、たまたま、いらっしていた田中康夫氏との会見、交流、福祉協議会での野菜の受け渡し、その後の、地震津波の襲来をもろ受けした南相馬市の萓浜海岸地帯の惨状の模様、さらに25日の再度の萓浜海岸地帯探訪や国家権力、警察・自衛隊福島県直轄支配の模様らにつきましては、引き続き報告その3、報告その4として今晩から明日にかけて書いて行きます。
 
25日、帰宅して、翌日、26日は朝6:00より12:30までの駐車場勤務があり、今晩は<緊急支援市民会議>があり、何しろ多忙です。貴重なコメント、メッセージにつきましては、今晩から明日、お返事いたします。  以上、お知らせして報告その2を終えます。  塩見。