「東北地方太平洋沖地震緊急支援市民会議・第5次トラック隊」報告その3

その3、 4月24日(日)、桜井市長との会見.

 ●南相馬市市長・桜井市長との会見
 23日夜、ホテルでのミーティングで確認したごとく、僕らは、24日、午前、南相馬市役所(原町にある)に出かけ、市長面会を追求し、その足で、「福祉協(議)会(?)」に行き、野菜類を置き、午後、地震津波に直撃された萓浜海岸一帯を探訪する予定をこなそうとしました。
 
午前十時ごろ、市役所に着き、事前に話をつけていた市庁秘書、星さんに面会しました。
 
市役所は日曜にも関わらず、ごったがえしていました。とりわけ、東電の「仮払い補償金請求用紙」作成の説明チラシを受け取らんとする人々が、列をなしていました。この書類(申し込み書)受付けが4月29日からはじめられるとのこと。原発地震被災地の所為でしょが、土日であるにも関わらず、ここ市役所職員は精力的に働かれています。

 
星さんはすぐに市長に取り次いでくださり、市長・桜井勝延(かつのぶ)氏は、他の人との面会中にも関わらず、すぐに出てきてくださりました。僕らは市長へのある人の信書を渡し、長野県佐久病院が、南相馬市の患者を受け入れる旨の事柄も伝達しました。
 
桜井さんは、極めて温顔、気さくで、如才なく、これらの件の経過は知っておられ、てきぱき、果断に捌かれて行かれました。
 
又、面会中の客人が「新党・日本」の田中康夫氏であることも伝えられ、その前には、服部信一氏や保阪展人氏とも会われた、と述べられました。又、南相馬市と杉並区の親交についても話されました。
 
市長は<反原発>、<原発廃止>の所信を公表さています。いろんな面で、静岡県知事とは大違いです。
 
「緊急支援会議」の説明や活動経過、あるいは東京の反原発の大衆運動が盛り上って来始めていることら、運動の進展状況を僕らは説明しました。「支援会議」の簡潔な説明パンフの作成、を痛感しました。
 
要件は果たされたので、お別れしようとしたのですが、もう一つ粘って、写真も撮り、田中氏とも会うべきと思い、その旨、星さんに伝えたところ、市長は簡単に応じてくださり、市長室に招かれ、田中氏にも紹介してくださり、田中氏も含んだ記念写真の生成と相成った次第です。
 
僕は、どこかで氏とは会ったような気がし、氏の方も知っておられたようでしたが、相変わらずのギョロ眼の風采で、この方も気さくでした。
 
運動に関しては、大関心で、「呼んでくれれば、いつでも出向く」、とおっしゃっていました。
 
以上が、長船氏が発表した5人の記念写真生成の経過です。

この後、「原町社会福祉協議会」に行き、残りの救援物資を収納しました。ここでも、新鮮野菜らは大いに喜ばれました。職員の方や東京・新宿三軒茶屋から来たボランティアの青年らと運び出しました。彼らは、30代はじめの好青年でしたが、「若いやつらが少ないのが残念」、とぼやいていました。