【ご案内】2012年4月14日(土)生存部会会合
【ご案内】2012年4月14日(土)生存部会会合
「 」
(「 」の中に、自分のテーマを入れて下さい。)
〜春の花の光のように(笑)〜
場所 フリーター労組事務所
(東京都渋谷区代々木4-29-4 西新宿ミノシマビル2F)
(初台駅5分、参宮橋駅10分、新宿駅15分)
時間 第一部 みんなに話す時間 1300〜1500
第二部 みんなと考え、話す時間 1500〜1700
買い出し・調理 1700〜2000
「解決しないパーティー」 2000ころ〜2200
※組合員以外の方の参加も歓迎です。
なんとか、春を迎えた。
でも、どうして、みんな、上ばかり見るのかな?
そんなに桜のつぼみが気になるのだろうか?
同じ季節と時間、そして、「桜の花はきれいで、みんなが愛してる」という同じ価値観を共有していると思っているのかな?
きっと、誰かがマーケティングしてるに違いない。
森へ出かけてみよう。
春の森には、木々が葉を繁らす前に、暖かな日差しが差し込む林内に咲く、無数の花がある。(これらの花はスプリング・エフェメラル(春の妖精)とも呼ばれる。木々の葉が林床の光を遮る夏には種となって眠る。)
街のアスファルトの亀裂にも、植え込みの陰にも…。
小さな命の光は、いたる所にある。それが政治的・経済的に作られた主流ではなくとも。
たいせつなのは、自らの光を見いだすこと。
だけど、何かがそれを遮っている。
プレカリアートである私たちの、さまざまな問題、そして、遮るものの向こうには、さまざまな喜びもあるはずだ。
前回の「3・11生存前夜祭」では、破局的な人災よりも、話してくれた仲間が個々人で抱えている問題のほうが、その人にとっては重要だったりした。
そのことから、生存部会としては、たとえ誰でもが抱えているであろう、「小さな問題」であったとしても、何が命の光を遮っているのかを問題として捉えたい。誰でも同じものを手にしている訳ではなく、同じ価値観でもなく、「つらいのは皆同じだね」とは言われたくはない。
じゃあ、4月の集まりは、どうしようか?と、集まった仲間に案を出して貰ったところ、以下のような意見が上がった。
・なにか集まるだけで意義がある
・うつや悩みを訊く
・みんなで「(個人の)問題」を共有する場
・一人の悩みをみんなで解決できるような場
・「(心の)病気」を周りから理解されないのがつらい
・タブーが無く自由な発言が許される場
・「病気」の社会的恢復
・場を作る関係性のありかたについて
そこで、今回の集いでは、第一部で、一人一人が、それぞれの近況や抱えている「問題」など、を自由に発言してもらい、みんなでそれを共有します。音楽・本の紹介でもOKです。ねこの話なども歓迎です。
第二部では、第一部での発言に対して、みんなで考えたり、共通のテーマがあればそれを議題に話し合います。あくまで、アドバイスは本人の望む場合のみです。それ以前に、誰も専門家ではないし、そもそも、自分の問題を解決なんてできてないんだけど…。
それでも、自分が仲間に話すことにより、少なくともフリーター労組という場で社会化され、仲間とともに未来を見ることが出来るかもしれない。
貧困とは、誰でもが享受されるはずの、さまざまな権利(例えれば、それは太陽の光のようなものではないのか?)を断たれている状態が不正義であるとする社会の問題である。
しかし、それは経済的な問題だけではない。
メジャーな花の価値観に支配され、自分自身の内なる小さな光を打ち消されること。つまり、社会的な価値観の生産から排除されていること。それにより、主体性を失い、個的な生が奪われ、個人が関わって創られる、社会までもが失われてゆくこと。
小さな花どうしも、出会う場がないこと。
そして、自分自身の否認に至れば、自分の心の中にさえ居場所がないこと。(「うつ」などの「心の病」も「引きこもり」も同様のことと関わりがあるのでは。)
スティグレール(仏の哲学者)がいうところの「象徴の貧困」であり、湯浅誠のいう「関係性の貧困」「自分自身からの排除」でもある。
それらが「生きづらさ」をますます悪化させているのではないのだろうか?
仲間と出会い、仲間と共に変わってゆこう。親密なるものを作り出し、それを共有しよう。
ん?社会が変わらなければ、自分の状況も変わらない?
じゃあ、「解決しないパーティー」でもやりますか?
夕方からは、みんなでご飯を作って、食事会もやりますよ!
【主 催】 フリーター全般労働組合生存部会
【連絡先】 (電 話) 03-3373-0180
(メール) union@freeter-union.org